映画レビュー:THE GREATEST SHOWMAN(ザ・グレイテスト・ショーマン)
待ちに待ったグレイテストショーマンを観た。映画を観に行くたびに予告をやってたので、公開されたら観たいなとずっと思ってた作品。
見るからに「3.8点以上」だろうなという感じの①ララランドのチームが送るミュージカル映画②主演ヒュージャックマン なのでだいたい答えは見えている感はあるのだが、そんなことよりも早く体験したかったそのミュージカルを!
ということで、土曜に見てきたのでその感想をば。
以下、ネタバレします⚠️
グレイテストショーマン。まさに王道ミュージカル映画、幸福に満ちた映画だった。
まず歌。ミュージカル映画というのは物語の流れによって捨て曲というのが生まれてしまうものだと思ってた(悲しい場面や日常でゆったりした抑揚ない曲になりがち)けど、この映画は違った。全部の曲がいい。どれも抑揚があり聞き応えがある。キャッチー。「だいたいステージに持ってけばオールオッケー」感があり、逆に清々しく楽しめる。
構成も、素人目にも王道感があり、
起:結婚するまで
承:サーカスで紆余曲折ありながら成功をおさめる。人気だけでなく、ザックエフロンと交わったことで力も得る。
転:リンダの公演成功により欲が出る。成功を追い求めすぎて家族やサーカスの仲間をないがしろに。
結:リンダとの喧嘩、そして火事により本当に大切なものに気づく。テントで新しいサーカスへ。そして自分の地位をザックエフロンに譲り、本当に大切な家族のもとへ。
という、非常に王道な構成と音楽のミュージカル映画。
各シーンに印象的な音楽。わかりやすい人間関係。でもここまでくるとガチのミュージカルになって現実味がでないものなのに…どこか「ミュージカル」と感じさせないリアルさがあるのが素敵。時代も古いし、サーカス、社交界という浮世な設定なのに。
伏線や人間関係もシンプルでわかりやすいのがよくて、そのぶん歌やメッセージに集中できる。裕福と貧乏。一般世界と社交界。双方のプロデューサー。リンダとの出会いは伏線。同じ境遇の者どうし少し理解し合う。でもヒュージャックマンはもちろん妻を選ぶ。元は裕福だった暮らしを捨て自分についてきてくれた妻へ。それは境遇や住む世界など関係ない、愛情や友情というものこそが人間どうしをつなぐのだという福音の穏やかな伏線でもあったかもしれない。
穏やかな伏線の回収、それは最後のザックエフロンのセリフに出てくる。「財産やパーティーの招待状、全てを失った。残ったのは愛情や友情と誇りを持てる仕事だけだった」
ああ、なんていい言葉なんだろうか。
見終わって「秀逸だ!」と気づいたのはザックエフロンのストーリー。ヒュージャックマンとの二項対立から、パートナーへ。そして舞台を見た瞬間、ラブストーリーの結末は決まっていた。でもそう簡単には二人を結ばない。
…それと並行するように、そう簡単には"舞台で歌わせない"。ミュージカル映画にザックエフロンとなれば誰もが、そのステージでの歌にちょっとは期待する。でも彼はステージには立たない。
最終的に立つのは最後、ヒュージャックマンからその役割を受け継いだ時だった。そのストーリーが素敵だし、憎いなと思った。
正直なところ最初、人を集めてショーをすると言った時、それは差別的なものを助長するんじゃないかと疑問が拭えずにいた。なんとなくそんなわだかまりがあるまま映画が進んだのだが…印象的だったのは最後。
レティは言った。「目的はお金儲けのためだったのかもしれない。でもあなたは私たちに家族をくれた」これがリアル。
そうか、もちろん彼らだって違和感やわだかまりは感じていたのかもしれない。なぜ私たちはサーカスをやるのか?なぜプロデューサーは離れていったのか?なぜ立ち見なのか?なぜ? だけどこの映画ではすっ飛ばす。つまり、これはミュージカル映画としてシンプルに削ぎ落とした結果だったのかもしれない。そして最後にしっかりそのわだかまりを回収しているようにも思えた。
レティから出てきた家族という言葉。そう、結末ではホームがキーワードになる。ヒュージャックマンはホームに戻り、全てのものがホームを取り戻す。
やっぱり通してハッピーで、落ち込みがあってもすぐに舞台にもどればショウマストゴーオン!みたいな作品だったけど、もう一つ深かったのがベネットのセリフ。
人類をごちゃまぜにして同じ舞台で平等に扱った「人類の祭典」、そんな福音的なメッセージで映画は締めくくられた。
この映画、わたしはふつうに泣いてしまう。人類への賛歌、そして歴史を作った人への賛歌なのだという思いと、その福音自体への願いがあるから。
でも、この映画を「楽しいミュージカル映画だったね」と言って終わらせる人もいるだろうと思う。ディズニーやジブリにも通じるが、もしかするとこういった映画にこそ、人の感受性や思考力は宿るのかもしれない。
映画レビュー:祈りの幕が下りる時
祈りの幕が下りる時、を見たのでその感想をば。
ネタバレあり。
---始---
嗚呼、つらい。
つらくてつらくて逃げ出しそうだ。
何もかもヤメにしてしまいたくなる。気持ち悪い。辛い。
もう無理だ、やるせない、気が遠くなりそうだ。もう終わりにしよう。
映画の後半はそんな気持ちで見るほかなかった。
それでも二人は強く生きた。壮絶ではあるし、それはもうやるせないけれども、26年間それなりに幸せだっただろう。
本当であれば、昔のことなど忘れてそれぞれに生きたかったのかなと思う。再び会うそのたびに、辛いことを思い出すだろうから。
でもつらいとき、逃げ出したいとき、何もかも終いにしてしまいたいと思うとき、希望も無くなりかけたとき、なくならなかったのは、こともあろうか絆だった。
「切っても切れない」とはよく言ったもので、血縁は良くも悪くも絆が強いのだ。
日本橋に取り憑かれた者たちが出会うとき。それは運命なのか偶然なのか。
東野圭吾原作のなかでも、苦しい思い出を引きずり出すほうのヤツなので、たぶんに精神がエグられる。
「よくあるミステリー」と思って付き合いたてのカップルで見に行こうものなら、撃沈しますのでご注意を。言える感想が①凄かったね②考えさせられる③松嶋菜々子綺麗の3択になりますゆえ。
以上。新参者シリーズ、綺麗な幕引きだった。
---終---
映画レビュー:勝手にふるえてろ
勝手にふるえてろ、を見たのでその記録をば。
ややネタバレを含みますのでご注意。
---始---
松岡茉優×綿矢りさということでずっと気になっていた映画。絶対に好きなやつだし見たいし見るべきってわかっていたけど、ずるずるとこの時期に。
結論からいうと、いつでもとり出せるように胸にしまっておきたい抒情詩のような作品だった。つまりは最高。マイ本棚的には『about time』や『500日のサマー』と同じところに入りました。(注1)
松岡茉優演じるヨシカが--かわいいからしっかり映画用にはなっているのだけど-ー完全に、自分こそ発見されるべきだと思っている女の子のそれで。旧い思い出を大切に育成しながら現実を直視せず、でも器用にある程度こなせるんだけど、やっぱり心のどこかで自分は特別な存在だと思いつづけている。(注2)
絶滅危惧種を愛でる彼女はふつうのものを手に入れられず、超人的に一人のひとを好きすぎてそれはもう異常巻きのように新種の生態と化して。進化とか異常とかそんな言葉で自分の傷を手当する。自分がふつうになれなかったのは進化しすぎてしまったからなのだと。
絶滅すべきなのでしょうか?と問いかけながら、絶滅するつもりなんて毛頭ない。
そんな自分に関心を抱いてくれるひとが現れ、初めてこの世に生まれでた赤ちゃんのように視界が開ける。直視する。
でもそんな自分に関心を持つこと自体が気持ち悪いし意味がわからないし信じられない。いつしか、本当は自分は進化したわけではなくてただただ、ふつうの道を通過してこなかっただけであるらしいことを自覚していく。
少年少女は誰しもがこんな季節をおくってきたのではないだろうか。自己と他者を正しく見られるようになることは大人になるための通過儀礼なのだが、なにぶん通過する年齢が決まっていないために、こうやって心の中に中学二年生のままの自己を育成している人はたくさんいる。ヨシカがずっとヘッドホンで耳を閉じてアンモナイトの殻にこもり、大好きなものですらまじまじと見ることができないように。(注3)
この映画の素晴らしいところは、文章にするとこんなふうに「痛々しく闇を抱えた25歳女」になってしまうところを、ポップに味付けしてるところだ。
衣装もセリフも演出も展開も、重くないので一風堂のラーメンのようにするすると入ってくる。絶妙なコメディタッチゆえ、万人受けするのではないかと思うほど。カップルでもいけると思います。
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世の中に青春映画というものはたくさんある。例えば『アオハライド』『ちはやふる』『君に届け』とか。もしくは『スウィングガールズ』だとか。
勝手にふるえてろ、は大人の青春映画だ。正確には、大人の中の少年少女の青春映画だ。でもすごく愛憎にまみれているから面白い。
青春なんていう陳腐な言葉で片付けることに抵抗を覚えるが、やはりどう考えても青春のそれでしかないんだ、ヨシカのその心の動きは。ニのその必死で真っ直ぐで無様な挙動は。ヨシカとくるみをつなぐ嫉妬と友情は。
そうだ、この人たちは、中学二年生をやり直しているんだ。
こんな心の中の少年少女の青春に、いやに共感と興奮を覚えてしまうのは、もしかすると自分がそういう青春を送れていなかったからなんだろうか。(注4)
映画館を出たらすぐ、黒猫チェルシー『ベイビーユー』をAppleMusicでダウンロードした。流れでGOING STEADYも聞いてしまう。帰宅後うっかり「spring is blue」なんていうプレイリストを作ってしまった。
---終---
(注1)あとで気づいたけど、Filmarksでの評価が4.1と意外と高くて自分の感覚が間違っていなかった感じがして嬉しい。
(注2)本当はカフェの店員とも、駅員とも、近所のおじさんとも、話せる人間ではないのに。このへん、もう、悶絶。
(注3)ヨシカは「視野見」が得意だし。
(注4)中学、高校と女子校だった。
PUNPEEが好きだ
そう、PUNPEEが好きだ。
このはっきりとした日本語のラップが好きだ。
宇多田ヒカルを好きなところが好きだ。
フジロックで弟とコラボしたところが好きだ。
加山雄三をカバーするところが好きだ。
PUNPEEの「ん」がMじゃなくてNなところが日本人っぽくて好きだ。
メロディがエモいところが好きだ。
イメージはいかついけど目元が完全に優しいところが好きだ。
歌詞もエモいところが好きだ。
絶対に家族思いなところが好きだ。
とくに確実に弟大好きなところが好きだ。
おそらく有名になっても人気になっても驕らないところが好きだ。
礼儀正しく謙虚なところが好きだ。
真っ当なところが好きだ。
口元が好きだ。
きっと三茶の飲み屋でバッタリ会ったら普通に一緒に飲もうよとかなるであろうところが好きだ。
もしかしたら出没するのは六本木かもしれないところも好きだ。
それ以前に、すれ違ったとしても気づかないかもしれないその存在感が好きだ。
きっと普段考えていることが私たちとそう変わらないところが好きだ。
どうしようもなくパンピーなところが好きだ。
でも、確実にこの人は持ってると思う。
人はこれって時にどうしても
時間を戻せたらとか言うね
でも誰も直せないから
直せないんだなぁ
それでもボクは尖りたい
書こう書こうと思いながら、はやくも前回のアップから1ヶ月が経とうとしている。これはもう世の常。ありきたりな言葉で言うならば三日坊主。
更新ストップしてから再開するのって、ずっと続けてるよりもハードルが上がるので、私はいま再開する勇気、という名の思い立ち、でスマホを弄んでいる。
2月から異動し新規事業の部署にいるので、2月はとりいそぎこれから毎日、1サービスのUIUX研究/1企業または事業のビジネス研究を続けることにした。昨日から。
やる気モリモリだが急にふと虚しくなるのは何故だろ。空回り感か、一体感のなさか、なに張り切っちゃってるんだろう感か、やる気にもかかわらず知識量の少ない自分への情けなさか…。
これから映画見てくるサラバ。