映画レビュー:勝手にふるえてろ
勝手にふるえてろ、を見たのでその記録をば。
ややネタバレを含みますのでご注意。
---始---
松岡茉優×綿矢りさということでずっと気になっていた映画。絶対に好きなやつだし見たいし見るべきってわかっていたけど、ずるずるとこの時期に。
結論からいうと、いつでもとり出せるように胸にしまっておきたい抒情詩のような作品だった。つまりは最高。マイ本棚的には『about time』や『500日のサマー』と同じところに入りました。(注1)
松岡茉優演じるヨシカが--かわいいからしっかり映画用にはなっているのだけど-ー完全に、自分こそ発見されるべきだと思っている女の子のそれで。旧い思い出を大切に育成しながら現実を直視せず、でも器用にある程度こなせるんだけど、やっぱり心のどこかで自分は特別な存在だと思いつづけている。(注2)
絶滅危惧種を愛でる彼女はふつうのものを手に入れられず、超人的に一人のひとを好きすぎてそれはもう異常巻きのように新種の生態と化して。進化とか異常とかそんな言葉で自分の傷を手当する。自分がふつうになれなかったのは進化しすぎてしまったからなのだと。
絶滅すべきなのでしょうか?と問いかけながら、絶滅するつもりなんて毛頭ない。
そんな自分に関心を抱いてくれるひとが現れ、初めてこの世に生まれでた赤ちゃんのように視界が開ける。直視する。
でもそんな自分に関心を持つこと自体が気持ち悪いし意味がわからないし信じられない。いつしか、本当は自分は進化したわけではなくてただただ、ふつうの道を通過してこなかっただけであるらしいことを自覚していく。
少年少女は誰しもがこんな季節をおくってきたのではないだろうか。自己と他者を正しく見られるようになることは大人になるための通過儀礼なのだが、なにぶん通過する年齢が決まっていないために、こうやって心の中に中学二年生のままの自己を育成している人はたくさんいる。ヨシカがずっとヘッドホンで耳を閉じてアンモナイトの殻にこもり、大好きなものですらまじまじと見ることができないように。(注3)
この映画の素晴らしいところは、文章にするとこんなふうに「痛々しく闇を抱えた25歳女」になってしまうところを、ポップに味付けしてるところだ。
衣装もセリフも演出も展開も、重くないので一風堂のラーメンのようにするすると入ってくる。絶妙なコメディタッチゆえ、万人受けするのではないかと思うほど。カップルでもいけると思います。
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世の中に青春映画というものはたくさんある。例えば『アオハライド』『ちはやふる』『君に届け』とか。もしくは『スウィングガールズ』だとか。
勝手にふるえてろ、は大人の青春映画だ。正確には、大人の中の少年少女の青春映画だ。でもすごく愛憎にまみれているから面白い。
青春なんていう陳腐な言葉で片付けることに抵抗を覚えるが、やはりどう考えても青春のそれでしかないんだ、ヨシカのその心の動きは。ニのその必死で真っ直ぐで無様な挙動は。ヨシカとくるみをつなぐ嫉妬と友情は。
そうだ、この人たちは、中学二年生をやり直しているんだ。
こんな心の中の少年少女の青春に、いやに共感と興奮を覚えてしまうのは、もしかすると自分がそういう青春を送れていなかったからなんだろうか。(注4)
映画館を出たらすぐ、黒猫チェルシー『ベイビーユー』をAppleMusicでダウンロードした。流れでGOING STEADYも聞いてしまう。帰宅後うっかり「spring is blue」なんていうプレイリストを作ってしまった。
---終---
(注1)あとで気づいたけど、Filmarksでの評価が4.1と意外と高くて自分の感覚が間違っていなかった感じがして嬉しい。
(注2)本当はカフェの店員とも、駅員とも、近所のおじさんとも、話せる人間ではないのに。このへん、もう、悶絶。
(注3)ヨシカは「視野見」が得意だし。
(注4)中学、高校と女子校だった。