仕事納め、年納め…できるのか。来年の目標
あろうことか、まだ2017年の仕事が納まっていない。
納まっていない、というか、すべては私のペース配分ゆえの事象なので、正確には「納められていない」だろうか。
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まあ仕事が納められていないとはいえ、年末なので、ゆるっと考えていた「来年」についてちょっと言葉にしてみようと思う。
とりあえず今思いつく来年の目標を羅列。
- 痩せる(3月15日までにマイナス5キロ)
- 運動する(ボクシングと筋トレ)
- 本を月4冊読む
- フェスに行く
- 仕事で成果を出す(漠然〜)
- そのためにめちゃインプット
- ブログを週3以上で書く。たぶん毎日のほうがよさそう
- 中国語自然にしゃべれるようになる
- ビジネス実務法務など資格をいくつか取得してみる
- 写真を再開
- 動画制作を再開
なっていたい姿。
- 成功体験を増やす。もちろん失敗もするけどとにかく体験を増やす。
- 自信をもって人と接することができる見た目と能力
- 興味のあることについて知っている状態
- とにかく自分に自信が持てている状態
そして行動指針。
- 3ヶ月を1年だと思う
- 計画を立て、実行して、成し遂げる
- 機会を作る
- 恥じずにやる。トライ。
- 諦めない
- 言語化。人にたくさん説明する
- すぐやる。今やる
とりあえずこんなもんか。寝よう。
明日は起きたら仕事を片付けて、本でも読もう。
知識のメガネで現実を見る
フジロックに行ってきた。
今年は2回めの参加だったので、初めてだった去年よりも勝手がわかって動き回りやすかった。
去年と違ったのは雨だったこと。ずっとレインポンチョをかぶりっぱなしだった、まあレインポンチョ可愛いから良かったけど、最後強めの雨がつらかった…。
ずっとレインポンチョをかぶっていて、帰り道、地元に降り立って初めて傘を指した。
すごい。
体に雨が降りかからない!
傘ってすごい。
文明ってすごいんだなー。
などと思った。
こんな新鮮な気づきは久々な気がする。
高校生超えてくると、どんどん小手先で理解するようになる。
だから本当の意味で理解をするということが減ってきた。
フジロックでは、ゴンドラに乗って久しぶりに自然というものを眺めた。
山々が連なる風景を20分見ていた。
あれは常緑樹かな、あれは針葉樹っぽいな、よくわからないけど。と、なけなしの知識を巡らせながら風景を眺める。
ふと、小学生の頃を思い出した。小学生や中学生の頃。理科の校外学習みたいなものがあった。普段教室で、紙の上で覚えた知識のメガネで、現実世界を見る喜び。
当然、紙の上の知識と現実は違う。
現実にしかない発見がある。
そんなことを思い出したフジロックだった。
備忘録:なんでやりたいことを諦めて来たんだろう?
なぞだ。全くもってなぞだ。
なんでやりたいことを諦めて来たんだろう?
小学生の頃はファッションショーを見るのがすきだった。
ファッションデザイナーになりたいと思った。
中学3年生のとき、学校の自画像のデッサンで10段階評価で10点をもらった。
高校1年生のとき、粘土でキャラクターを考案して作る授業では6点くらいだった。
ちょうどその頃、自分の大学の進路を考え始める。
あまり時間はかからなかった。
「自分にはちょっとした才能はあるかもしれない」
「でもトップにはなれないと思う」
「創造性があるタイプじゃない」
そう思い、美大に行くのはやめた。
美大に行くことはリスクだと思った。
綺麗なものが好きだった。
美しいものが好きだった。
広告がやりたかった。
感動したのは、旭化成のCM。
山口百恵「さよならの向う側」のカバーが流れる、枯渇した土地で異民族が「ここは昔、湖だったんだ」と言っているCMだ。
感動した。
見たとき、たぶん涙が出たと思う。
CMってこういうことも出来るんだと思った。
美しい広告がたくさんあった。
美しいと言えば、美しいミュージックビデオもたくさんあった。
Mr.Childrenの一時期のMVをよく担当されていた丹下紘希さんのMVが好きだった。
そもそもMr.Childrenをとりまく表現も好きだった。
森本千絵さんがアートワークとかしていた。
そんなものが作りたかった。
サークルでは映像を作った。
バンドのMVや、ちょっとかっこいいエフェクト系の映像とか。
でもそんなに突き詰めなかった。
強い「やりたい」を持たなかった。
「やりたい」を自然と失くしてきた。
ずっとそんなふうに生きている。
広告がやりたかった。
プロモーションがやりたかった。
本当はデザインが好きだった。
本当は芸術が好きだった。
でもお金にならないと思った。
きっと数%の上位が富を独占するんだと思った。
好きなことはあるけど仕事はべつ、とか思った。
それは間違ってはいない気もする。
でも仕事を違うことにしたからって、デザインを諦める必要はなさそうだ。
いつだって、見た目が気になる。
ブログも内容以上に見た目のセンスが目につく。
もうそういう人間なのだ。
デザインから逃れられない。
デザインを勝手にやればいい。
だったらやればいいのだ。
まず勉強とかじゃなくて、まず作ればいい。
やりたいようにやろう。
大学のときみたいに。
そして書きたいことを書こう。